●今回は中高生向け●
サヨナラ、マイ・ディア
学而会 英語のおまけ箱 33箱目
ラナルド・マクドナルド Ranald MacDonald という名前を聞いたことはありますか?
おそらく、この人は、日本史上初めて、日本人に英語を教えたネイティブ教師と言えるんじゃないでしょうか。
でも、どういうわけか、中学でも高校でも、この人のことはいっさい習わないと思います。
わたしが初めてかれのことを知ったのは、子ども向けの絵本でした。
1848年、日本が鎖国していた時代です。
アメリカから捕鯨船に乗り込んで北海道の近くまでやってきたマクドナルドは、そこから単身、ボートを漕いで北海道に上陸します。
このことは役人に伝えられ、かれは長崎に連れていかれます。
この時代ですから、長崎では牢屋に入れられ、幕府の尋問を受けます。
この期間、マクドナルドは役人たちを通して日本語を学んでいきます。
おかえしに、かれは役人たちに英語を教えていくんです。
牢越しの勉強会というわけです。
当時、アメリカは捕鯨業が盛んで、日本近海までアメリカの捕鯨船がけっこう来ていました。
マクドナルドは意志をもって日本に来たわけですが、捕鯨船が難破して日本に流れ着いてしまった漂流民たちも何人かいました。
やがて、アメリカは自国の漂流民たちの引き渡しを求めて、長崎に軍艦を差し向けてきます。
その軍艦に乗って、マクドナルドも日本を去ることになります。
帰国したマクドナルドは日本で見聞したことを本に書きましたが、本が出版されたのは、かれの死後でした。
マクドナルドが危険を顧みず、たった一人で日本に来た理由は、次のごとくです。
かれは母親が北アメリカ原住民でした。
そのことで、かれは子ども時代、白人たちにいじめられることがしょっちゅうでした。
アメリカ原住民の間では、日本人には自分たちと同じ血が流れているという言い伝えがあり、かれは日本人の国に行ってみたいと思うようになり、ついに決行したわけです。
マクドナルドが長崎の牢屋で英語を教えた役人たちは、その後、ペリーが日本に開国を迫りに軍艦で浦賀へやって来たとき、通訳として活躍することになります(最も有名なのは森山栄之助という人ですが)。
マクドナルドは、ワシントン州にて亡くなる際、つきそっていた姪の腕の中で
「サヨナラ、マイ・ディア、サヨナラ」
とつぶやいたそうです。
今回は「言葉はひろがる」(鶴見俊輔・文、佐々木マキ・絵)という絵本を参考にしました(福音館書店・刊)。
●語り手/英語科・鈴田●